
本堂
阿弥陀三尊をご本尊としてお祀りする本堂。日々のご供養と祈りを大切に重ねています。
個性がきらめく空間構想かやの木会館

KAYADERA / KURAMAE
正式には池中山盈満院。江戸の町とともに歩み、今もこの地で人々の祈りを受け継いでいます。
榧寺は、正式には池中山盈満院 正覚寺と称する浄土宗の寺院です。慶長4年(1599年)に開かれ、蔵前の地で四百年以上の時を重ねてまいりました。境内にあった榧(かや)の大木にまつわる縁起から、江戸時代より「榧寺」の名で親しまれています。長い年月の中で受け継がれてきた歴史と祈りを、境内の風景とともにご紹介いたします。
| 正式名称 | 池中山 盈満院 正覚寺 |
|---|---|
| 宗派 | 浄土宗(宗祖:法然上人) |
| 創建 | 慶長4年(1599年) |
| 開山 | 普光観智国師(徳川家康公の師と伝えられ、増上寺中興の祖として知られます) |
| 本尊 | 阿弥陀三尊 |
| 守護神 | 秋葉大権現 |
| 所在地 | 東京都台東区蔵前3-22-9 |
かつてこの地には、大きな榧の木があったと伝えられています。榧寺に残る縁起には、この榧の木と火防にまつわる物語が記され、火の神・秋葉大権現との縁とともに、明暦の大火や享保年間の火災から寺が焼失を免れたことも語り継がれてきました。
寺はもともと正覚寺と称していましたが、こうした榧の大木にまつわる由緒から、元禄初年頃には「榧寺」の名で広く知られるようになりました。長く親しまれてきたこの呼び名には、寺を守ってきた歴史と、人々の祈りが重なっています。
現在も境内には、都会の中心にありながら四季を感じられる静かな風景が残っています。お参りの折には、歴史だけでなく、蔵前の町の中に息づく寺の空気も感じていただければ幸いです。


阿弥陀三尊をご本尊としてお祀りする本堂。日々のご供養と祈りを大切に重ねています。

境内には、ご来寺の皆様に落ち着いてお過ごしいただける空間もございます。
榧寺には、寺の来歴を伝える複数の「榧寺縁起」と縁起碑が伝わっています。そのうち、石川雅望が詞書を、栗原信允が絵を手がけた「紙本著色榧寺縁起絵巻」は、江戸の文化人が制作に関わった貴重な資料です。
また、境内の銅造観音菩薩坐像は、宝暦年間に室生寺の僧・快心の発願により、江戸の鋳物師・粉川市正が制作したものです。台座の銘文から奉納者や制作年代を知ることができ、江戸時代の鋳物師の技術と活動を伝える資料として、台東区の有形文化財に登載されています。




境内墓地には、江戸時代後期の国学者・狂歌師として知られる石川雅望(1753〜1830)の墓があります。雅望は六樹園、五老斎などと号し、狂名「宿屋飯盛」として狂歌の世界でも活躍しました。
国学では『源注余滴』『雅言集覧』などを著し、狂歌や紀行文にも多くの仕事を残しています。榧寺との縁も深く、文化11年(1814年)成立の榧寺縁起絵巻の詞書を手がけました。
雅望の墓は、榧寺と江戸文化とのつながりを今に伝える場所のひとつです。墓所を訪れると、蔵前に積み重なってきた町と人の歴史を身近に感じることができます。
榧寺の墓所には、石川雅望のほかにも、勝川春亭、久保春満、市川九蔵、竹本綾之助、大童山、安井曽太郎、長谷川如是閑など、文化・芸術をはじめ各分野で時代を生きた人々の墓所が伝わっています。蔵前という土地の歴史とともに、さまざまな人々の歩みが静かに受け継がれています。



大正11年、悲劇の死を遂げた少女「お初」を哀れんだ諦我上人によって建立されたと伝えられています。後に芝居や映画にも取り上げられ、人々の心に残る物語となりました。
幕末の蔵前を背景とする古典落語「蔵前駕籠」では、榧寺周辺も物語の舞台として語られます。江戸の町人文化が息づいた蔵前らしい逸話のひとつです。
町の景色は時代とともに変わっても、手を合わせる時間の大切さは変わりません。榧寺では、これまで受け継がれてきた歴史を大切にしながら、これからも地域の皆様に身近な寺院でありたいと考えています。
蔵前へお越しの際には、どうぞ静かな境内にもお立ち寄りください。

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